第18回お江戸散策 (2013年10月) は市ヶ谷、神楽坂界隈を選びました。神楽坂界隈は、江戸時代後期の安政年間に牛込花街が開け、明治以降は山の手随一の花柳界として発展した。関東大震災後は、日本橋・銀座方面より商人が流入し、夜店が盛んになり、山の手銀座といわれ、一段とにぎわいを増した。コースには小説家尾崎紅葉、泉鏡花、日本最初の歌う女優で知られた松井須磨子、文豪 夏目漱石の足跡もあり、先を楽しみにしながら出発した。最初の散策地は、市ヶ谷駅を出たところ石垣の遺構が残っている市ヶ谷見附跡、明治になってから取り壊されて面影はないが、残された石垣から、現存する大手門や桜田門と同様の門があったことが偲ばれる。ここから外堀の桜並木道を歩き、新見附橋を渡って、市ヶ谷佐土原町に入る。佐土の名は、江戸初期、家康の重臣本多佐渡守正信が住んでいたことに因んでいて、ここの一角に、浄瑠璃坂と云う所があり、江戸の初期に仇討ち事件があったという。次の散策地は、最高裁判所長官邸の近くにある箏曲家宮城道雄旧宅、現在記念館となっていて、友人だった佐藤春夫撰文による略伝碑が建っている。この付近は、江戸時代中期中御徒町と云い、多くの下級幕臣が住んでいて、幕臣で、狂歌師であった大田南畝、別号蜀山人も住んでいたという。ここから神楽坂方面に歩くと、右手に光照寺という浄土宗の寺院がある。この地は家康が江戸に入府する前は、大胡家という豪族が居城としていた牛込城があった所で、寺の南側は谷になっており要害の地であったことが窺える。境内には出羽酒井家歴代藩主の墓や旅先で亡くなった人の菩提を弔う諸国旅人の碑など見所がある。寺院を出た東の坂道を下ると神楽坂の繁華街の通りにでる。ここの繁栄の中核を担ったのが毘沙門天信仰で名高い善国寺で、幸いにも今日は寅の市が開かれていた。境内には沢山の参詣者が居て、むかしの賑わいが浮かんでくる。神楽坂は多くの著名人たちが浮名を流した所でもあり、戦後政治の重鎮三木武吉や元首相 田中角栄ゆかりの料亭松ケ枝の跡や泉鏡花ゆかりの料亭うを徳、柳家金語楼、勝新太郎が住んでいた寺内地区、そして奥座敷の風情を残している兵庫横丁、芸者新道、かくれんぼ横丁など、夜の盛り場の趣があるところを逍遥したところでランチタイムとなった。今回の散策は8名の参加者だったので、都合よく、全員が入れる良いそば処があり、ゆっくりと腹ごしらえをすることにしました。
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