殿ケ谷戸庭園(随宜園)は説明板によると、「武蔵野段丘の南縁、国分寺崖線と呼ぶ段丘崖とその下端部付近の礫層から浸出する湧水を利用し、雑木林の風致を生かして造られた近代的別荘庭園です。この庭園を造ったのは、三菱合資会社社員で、のちに南満州鉄道副総裁から貴族院議員にもなった江口定條(さだえ)で、のちに三菱財閥一族の岩崎彦弥太が買い取り、庭園内に紅葉亭を建て、湧水でできた次郎弁天池を中心にした和洋折衷の回遊式庭園を完成させた。昭和49年東京都が買い取り、国の名勝となった。」と説明されています。 |
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新緑につつまれた庭園の風景を紅葉亭から鑑賞しながらのランチタイム |
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国分寺駅より東小金井駅まで、中央線電車で移動し、駅前から「江戸東京建物前」までシャトルバスにて移動しました |
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江戸・東京は、幕末から今日に至る間、安政大地震、関東大震災そして太平洋戦争による戦災、その他により多大な人命の犠牲と貴重な文化財が消失する災害に見舞われました。このような歴史から、失われてゆく江戸・東京の歴史上、貴重な建物や文化財を移築して保存し、後世に遺して、広く大衆に紹介しようとする機運が盛り上がりました。そして、それらを集合展示して、保存するための公園が、平成5年(1993)に小金井市に建設されました。それが 「江戸・東京たてもの園」です。われわれの少年期を思い起こさせてくれる住居や商店もあり、見学しながら、楽しめて、むかし話に花が咲いた見学ツアーでした。(G) |
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江戸東京たてもの園内地図 |
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自証院は将軍家光の側室。尾張藩主へ嫁いだ娘千代姫が寄進した霊殿 |
前川国男は「東京文化会館」「神奈川音楽堂」設計した建築家 |
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江戸時代、八王子に配備された家臣団を八王子同心組みと飛ばれていました。式台付きの玄関に格式を感じます。 |
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奄美大島にある高床式の倉庫。湿気やネズミの害から穀物を守るために、建物本体を地面から高く上げている |
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江戸時代、三鷹で名主をしていた家 |
後に、カルピスの命名者・三島海雲が棲んでいた |
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高橋是清は岡田内閣大蔵大臣のときに2.26事件の犠牲になりました。この家はそのとき住まいしていた家です |
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宗偏流の茶人・山岸宗住(会水)が建てた茶室。後に、劇作家・宇野信夫が買い取り使用した |
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総欅造りで、 むくり屋根の片番所を付け、門柱の冠木には家紋が付く |
上野池之端に在った小間物・化粧品の店 |
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天明家は、江戸時代鵜木村の名主を務めていた家です |
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北千住にあった銭湯です。神社仏閣を思わせる大型の唐破風や室内天井など贅をつくした造りになっています |
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江戸東京たてもの園を後にして、小金井公園方面を見学散歩してから、最寄り駅・武蔵境へ進むことにしました |
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スライドショー |
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