洗足学園
洗足学園の創設者前田若尾は、土佐藩氏族の家に生まれました。東京裁縫女学校を卒業後、錦秋女学校の教員、青山女子学院教員をしていましたが、関東大震災が発生したのち、大正13年(1924)自宅に私塾平塚裁縫女学校を創設しました。そして、2年後、このバス停の前にあるマンションの場に移転して校名も洗足高等女学校と改めました。現在、この地にも、付近にも学園はないが、バス停の名前にその足跡が遺されています。「洗足」という学園名は、地名を冠した命名のように思えますが、そうではなく、前田若尾自身が敬虔なクリスチャンであり、自ら「洗足」と命名したことにもその理念が投影しています。
* キリストは、明日は十字架の上に消えることを悟ったとき、12人の弟子たちの足を一人一人洗ってやって、最後の晩餐の席につきました。イエスは、夕食の席から立ち上がって上着を脱ぎ、手拭をとって腰に巻き、それから水をたらいに入れて、弟子たちの足を洗い、腰に巻いた手拭で拭きはじめました。「主でありまた教師であるわたしが、あなた方の足を洗ったからには、あなた方もまた互いに足を洗うべきである。わたしがあなた方にしたとおりに、あなた方もするように、わたしが手本を示したのだ」と語りました。このように新約聖書「ヨハネによる福音書」第13章には書かれています。若尾はこの教えを理念として、教育の理想を深く思慮し、そしてキリスト教の教えを厚く信仰することを命名した「洗足」に込めたのです。その後川崎市高津区に移転した「洗足学園音楽大学」の教育にも、今日この精神が引き継がれているのです。
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