碑文谷八幡宮

碑文谷八幡宮

  創建年代は不詳であるが、鎌倉時代の武将畠山重忠の家臣で当地に住んでいた宮野左近という人物がその守護神を祀ったのが始まりであると言われている。現在の社殿は延宝2年(1674)に造替したものを明治5年(1872)に再建し、同20年(1887)に改築したもの。神仏分離令が出るまで、別当寺として近辺にある円融寺の子院、神宮院が置かれていた。 また神社には畠山重忠の家臣榛沢(はんざわ)六郎という人物を祀った稲荷社と「碑文谷」の名の起因ともいわれている碑文石が保存されている。
碑文石とは、歴史的な出来事、例えば記念事、伝記、由来、慰霊文など、後世に伝えたいことの記録等を目的として、文章や文字が彫り込まれた石碑のことですまた、桜の時期になると一の鳥居から二の鳥居までの間が桜の花で溢れ、桜の見所にもなっていることでも知られています。そのほかにも勝海舟直筆の「八幡大神」の額なども保存されている。