〇 新旧 岩淵水門 (青水門・赤水門)
明治43年(1910)、荒川(現・隅田川)の洪水により死者369名、浸水家屋27万戸、被災者150万人に及ぶ甚大な被害を受けました。この、惨事から、荒川の洪水を防ぐことが急務となり、JR東北本線橋梁から東京湾方面にかけて、 延長22km・幅500mが人工河川(荒川放水路)が、開削されました。それと同時に旧荒川(現在の隅田川)へ洪水が流入するのを防ぐため、旧岩淵水門が作られました。
旧岩淵水門はその色から通称「赤水門」と呼ばれました。大正5年(1916)に着工し、大正13年(1924)10月に完成した最初の水門で、9メートル幅のゲート5門で構成されています。昭和35年(1960)3月に通船のために5番ゲートが改造されました。赤水門は新水門完成に伴ってその役割を終えることになりましたが、のちに、土木建築物としての価値が高いと再評価され、国の重要文化財として保存されることになりました。水門上は歩行者自転車専用橋として開放され、川に囲まれた中之島(水門公園)に渡ることができます。
新岩淵水門はその色から通称「青水門」と呼ばれています。旧水門の老朽化、地盤沈下対策、また洪水調整能力の強化を考えて、300mほど下流に作られました。昭和49年(1974)に着工し、昭和57年(1982)に完成しました。事業費は約70億円。200年に1回の大洪水にも耐え得るように1500tの水圧にも耐えるように作られています。増水時には、水門を閉じ、荒川上流と隅田川の水流と途絶させる仕組みになっています。自家発電装置や電源が無くても門扉を自重で降下させる機能が装備されており通常、装置閉鎖にかかる時間は、わずか約45分で出来る装置になっているそうです。
|