鷹取山の磨崖仏群
 鷹取山は主に、礫岩や砂岩によって被われています。れき岩とは大小の円礫が、砂、粘土質などにより強固に膠結されて生成した岩石で加工しやすく、堅固であることから住宅の礎石などに用いられました。明治時代になってから、東京、横浜は人口が増加し、住宅建築が年々、飛躍的に増加しました。都会に近い鷹取山は、その需要の供給基地として、山の至る所で採掘場が出来ました。しかし、関東大震災で、その石の搬出先の港湾が損壊するばかりでなく、土地が隆起したため、岩石の運搬が困難となり、石材採掘産業は、衰退していきました。その採石場の跡はそのまま市が管理していたが、ロッククライミングの恰好の練習場として人気が出てきました。そして同時に一部の芸術家が、岩面に仏画を刻んでから、愛好家に知られるように、彫刻する人が出てきました、しかし市が彫刻を不許可にしたことで、下火になっていたが、どこからやって来たのかまた、増えてきて、今日に至っています。
見事な作品もあり、その一部を紹介します。