大門宿本陣跡

  「日光御成街道」は江戸時代に幕府により整備された街道の一つで、徳川家康が日光に祀られ、歴代の将軍が社参の際に、この道を使うようになったことから呼称されるようになりました。道筋は本郷追分から大門宿や岩槻宿などを通り幸手宿の手前で日光街道に合流しています。 大門宿は日光御成街道の起点の本郷追分から岩淵宿、川口宿、鳩ヶ谷宿に次ぐ宿場町で江戸から6里19町(約26㎞)の地にあります。元禄13年(1700)岩槻城主松平伊賀守忠周が、但馬国出石に転封になったとき、岩槻藩領から幕府領に編成替えとなり、宿場に認定されました。その時の名主、会田平左衛門が本陣・問屋を任ぜられました(会田家は現在も近隣に在住)。天保14年(1843)における宿場の規模は、大概帳によると、石高1137石、街並7町23間、本陣1軒・脇本陣1軒、旅籠6軒、問屋場1ヶ所、戸数180軒、人口896人であったと記されています。
 大門神社
大門(だいもん)神社は、埼玉高速鉄道線の浦和美園駅より南へ徒歩15分の地に位置する鎮守社。
創建年代は不詳。江戸時代は十二所権現社と称し、日光御成街道大門宿の鎮守でした。明治維新で十二所社と改められ、更に明治40年に近隣10社を合祀し現社名に改称しました。長い参道の奥に、壁面全面に彩色彫刻が施された本殿があります。