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幕末開国の港町・下田
嘉永7年(1854)、日米和親条約の締結によりペリー艦隊率いる米国海軍が来航してから下田の開国の歴史が始まりました。市内には今でも当時の歴史を伝える品々や史跡が数多く残っています。
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情緒漂うレトロなまち・下田
江戸時代、下田は「出船入船3000隻」といわれ、東西を往復する船の風待ち・避難の寄港地として繁栄しました。そのため様々な文化が交錯した下田では、今でも往時の面影を見ることができます。
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有名な歴史上の著名人が訪れた町
幕末史を彩るお馴染みのペリーや吉田松陰、勝海舟など多くの著名な人物達が下田のまちを訪れました。 歴史に登場する著名人と下田との関係についてご紹介します。
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坂本龍馬 飛翔の地
文久2年(1862)土佐藩を脱藩した坂本龍馬は勝海舟の門下に入りました。龍馬の身を案じ、翌年勝海舟は下田の宝福寺で前土佐藩主・山内容堂に面会し龍馬の脱藩赦免を願い出ました。翌年、一旦は赦免された龍馬は再び脱藩し、その後、亀山社中を設立、薩長連合を成立させました。宝福寺は現在、「龍馬ゆかりの地」として坂本龍馬の歴史を伝えています。
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吉田松陰 密航を試みた舞台
吉田松陰は世界情勢を知るため、弟子の金子重輔と共に下田に来航していた黒船に乗ろうと試みました。松陰たちが子舟に乗って漕ぎ出されたところは柿崎弁天島の辺りでした。現在、弁天島は公園になっており、二人の銅像が下田湾を見据えながら立っています。
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マシュー・ペリー 日本最初の開港場
黒船来航後、下田は日米和親条約で最初に開港した場所でもあります。調印後、ペリーは軍艦7隻を下田に入港させ日米和親条約附録下田条約を了仙寺にて締結しました。下田にあるペリーロードは、ペリーが300人の部下を引き連れ、ペリー上陸記念公園から了仙寺までの道のりを行進しました。
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唐人お吉 暮らした町
幕末の影にひっそりと咲いた花として知られるお吉。「唐人お吉」の小説でも知られ、時代に翻弄された悲劇の女性として名前を残しています。下田の町には、数多くの「お吉伝説」が残っています。
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