甲斐路散歩
 2018年11月 28日(水) 早朝 5:10に自宅を飛び出し八王子を経由して中央自動車道に入った。塩山で高速道路を降りて、一般道を走り、甲州の名刹・恵林寺を目指した。 7:20、乾徳山恵林寺駐車場に着いた。戦国時代、甲州の虎と呼ばれ、圧倒的な存在を示した武田信玄や徳川五代将軍のとき権勢を欲しいままにした大老・柳沢吉保の菩提寺である。中興の祖には、鎌倉瑞泉寺を開山した夢窓疎石(国師)が住持した。境内には、禅宗独特の伽藍が残されており、それぞれの堂宇からは格式の高さが伝わってくる。夢窓疎石が作ったと伝わる恵林寺庭園は、いまが盛りの紅葉期と云うこともあり、その庭園の美しさは格別で、しばし、縁側に腰を下秋の日本の美を味わった。大いに満足感を味わえたひとときでした。
恵林寺
  織田信長に徹底抗戦していた六角義賢の長男義定が乾徳山恵林寺に逃げ込んだ際、信長は恵林寺を包囲し、住職快川紹喜禅師に、義定の身柄引き渡しを要求するが快川禅師は拒絶したため、三門房室に僧侶100余人とともに収容され、火を放たれて焼き殺された。死に望んで遺偈を声明し「安禅不必復山水 滅却心頭火自涼」安禅は必ずしも山水をもちいず 心頭を滅却すれば 火も自ずから涼し)と唱えたと言う。織田信忠とともに、寺を包囲していた明智光秀は、正親町天皇から国師の称号を賜った高僧で同郷人で、尊敬している快川禅寺を救いたいと思い信長に嘆願するが叶わなかった。 このことが、後の「本能寺の変」の一因であるとも言われている。