スイス旅行       
 ローザンヌ
ローザンヌ は歴史と文化の香り漂う古都で、エレガントな雰囲気が漂う町です。高級ホテルも立ち並ぶ湖畔のウーシー地区、丘の上にそびえる大聖堂を中心にした旧市街、トレンディーなクラブやレストランが集まるフロン地区など、多彩な魅力を兼ね備えています。紀元前ケルトのヘルヴェチア族が暮らしていた時代からの歴史を誇っており、古代ローマの支配下にあった時代に「ロウソンナ」と呼ばれ、ローマ軍港の拠点として繁栄しました。ジュネーヴを経由してフランス方面とつながるローマ街道とグランサンベルナール峠を通って、マルティニー経由でライン地方へ北上する街道の2つが合流するポイントとしても重要な役割を担っており、レマン湖畔の港は、軍港であり、物流の中心地でもありました。現在のヴィディ地区に多くのローマ遺跡が残されています。
美しい大聖堂や美術館、高級住宅が点在する旧市街の高台とレマン湖畔に高級ホテルが立ち並ぶウーシー地区の間には高低差があり、坂の町としても知られています。現在、メトロ(地下鉄路線)にくみこまれているローザンヌ=ウーシー間の路線が、1877年に開通したスイスで最初につくられたケーブルカーになります。世界トップクラスの大学やホテル学校、音楽学校、美術学校がある文化都市で、個性的な美術館や博物館が数多く点在しています。また国際オリンピック委員会(IOC)本部があり、オリンピック委員会が運営する世界唯一のオリンピック・ミュージアムでは、過去のオリンピックのすべてを見ることができます。町の共同墓地には名誉市民であるオリンピックの父といわれたクーベルタン男爵の墓もあります。ローザンヌ駅はオリンピック五輪マークをファサードに飾ることを許された唯一の鉄道駅です。バレエ界の巨匠として有名な故モーリス・ベジャールが設立したバレエ団やバレエスクールがあり、若手ダンサーの登竜門として名高い「プリ・ド・ローザンヌ(バレエコンクール)」が毎年開催され、日本からは多くの入賞者を輩出していることで、バレエの聖地としても知られています。レマン湖北岸の中央に位置し、ジュネーヴ、ベルン、チューリヒ方面を結ぶ幹線上にあり、交通の便が良いので周辺の町や田園地方へのエクスカーションの拠点としても最適です。(スイス観光資料) 
 ステンドグラスが眩いばかりに美しい
 オテル・ドゥ・ヴィル(市庁舎)  
 ニヨン
ニヨンは、ジュネーヴの北約25kmのレマン湖岸に位置し、フランス語圏に属している。ガリア戦争(紀元前58 - 51年)によってガリアを征服したガイウス・ユリウス・カエサルによって紀元前45年頃に古代ローマの植民市として建設された。この植民市はコロニア・ユリア・エクエストリス(Colonia Iulia Equestris)と名付けられ、その中心部はノヴィオデゥヌム(Noviodunum)と呼ばれた。近年、アンフィテアトルムや神殿などのローマ時代の遺跡が発掘されており、1998年に開館したローマ博物館では出土品が展示されている。12 - 13世紀にはサヴォワ家の支配下に入り、ニヨン城が築かれた。現在、ニヨン城には、18 - 19世紀に盛んであったニヨン焼きと呼ばれる磁器などを展示する歴史・陶磁器博物館が設けられている。現在では、欧州サッカー連盟の本部が置かれていることで国際的に知られる。  (スイス観光資料)
 ニヨン城はローマ時代カエサルによって築かれた  ローマ時代の遺跡 
 ジュネーブ
 ジュネーブはスイス南西部の都市でチューリヒに次ぐ同国第二の大都市。スイス南西端のレマン湖からローヌ川が流出する地点の両岸に位置する。北西にはジュラ山脈、南東にはアルプスの山地を望む谷間にあり、フランスとの国境に近い。そのため、フランス風の思考・生活様式の影響を受け、「スイスのパリ」とも呼ばれる。住民の7割はフランス語を話し、プロテスタントとカトリック教徒の数は半々と思われる。都市としての発展は16世紀の宗教改革者J・カルバンに負うところが大で、ヨーロッパの宗教改革の中心地、さらにはプロテスタンティズムの世界的な中心都市となった。18世紀のルソーによる哲学・教育学、ド・ソシュールなどによる自然科学研究の活況が、現在のこの都市の学術・文化の基礎となっっている。この町出身のデュナンが創設した赤十字の国際委員会の所在地であり、第一次世界大戦後に国際連盟が置かれたパレ・デ・ナシオンは、現在国連ヨーロッパ本部となっている。そのほか、国際労働機関、世界保健機関、世界気象機関をはじめ多くの国際的な機関がある国際都市で、国際会議が頻繁に開催され、市内に住む外国人の数は人口の37.6%を占める。 16~17世紀にフランスからの宗教難民が入り込み、彼らがもつ時計製造の技術がここに時計工業をおこし、スイスの代表的な工業とした。19世紀末まで盛んであった繊維工業にかわって、現在はタービン、機関車、ミシンなどの機械工業、精密機器製造業、化学工業などが盛んである。伝統的な装身具製造もいまに残っている。また、スイス南西の玄関として、商業・貿易の中心としての機能も備えている。各種見本市が開かれるが、なかでも毎年の自動車見本市は有名である。スイスのフランス語圏最古のジュネーブ大学には、国内のドイツ語圏からも在学する学生が多い。ヨーロッパ共同原子核研究所には、世界中から研究者が集まっている。市街はローヌ川により二分され、左岸の丘陵部に旧市街がある。その象徴はサン・ピエール大聖堂で、他に宗教改革記念碑、大学、美術歴史博物館、市庁舎などがあり、これらを含む旧市街には古い趣のある建物が並ぶ。右岸は新市街で、駅や郵便局があり、住宅地がここから広がっている。湖岸や市中に美しい庭園があり、アルプスの名山モンブランを遠望できるこの町は、スイスでもっとも美しい都市といわれる。(スイス観光資料)
 
チェスに興ずる人々。日本の路面将棋のようで興味深い。 真剣な 眼差しで思考する。











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