ミマール・シナン (Mimar Sinan, 1489-1588)
シナンは、盛期オスマン帝国の建築家、土木技術者。1490年前後にアナトリア半島のカイセリ近郊で生まれ、1588年にイスタンブールで亡くなった。シナンが名前でミマールは建築家を意味するアラビア語由来の言葉であるため、ミマール・シナンは「建築家シナン」を意味する。キリスト教徒の石工の家に生まれ、デヴシルメで徴用されてイェニチェリ(常備軍歩兵)の工兵になった。一介の士官からあっという間に階級を上げ、軍団長にまでなった。セリム1世、スレイマン1世、セリム2世、ムラト3世というオスマン帝国最盛期を代表する4代のスルターンに仕え、軍歴は50年近くに及ぶ。遠征で赴いた土地は、西はバルカン半島東はメソポタミアまでに及び、各地の建造物を実見している。前線に出ている間に土木工学に関する実践的経験を積み、道路や橋梁、水路といったインフラストラクチャーの構築を含む、あらゆる種類の要塞建築のエキスパートとなった。50歳ごろ帝室造営局長(ハッサ・ミーマーリ・バシュ)に任命され、軍で培った技術的スキルを良質な宗教施設を創造することに用いることを求められた。帝室モスクの代表作は、イスタンブルのシェフザーデ・ジャーミイとスレイマニエ・ジャーミイ、そしてシナン自身が自身の最高傑作と認めるエディルネのセリミーエ・ジャーミイが挙げられる |
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