ひめゆりの塔とは、沖縄戦で亡くなったひめゆり学徒・教師の鎮魂のための慰霊碑のことです。太平洋戦争の末期、沖縄の人達は米軍の沖縄侵攻に際して日本軍に従事することになりました。
その際、軍が中心となって女子学徒隊に看護訓練を施します。 女子学徒隊は八つあり、その内沖縄師範学校女子部と沖縄県立第一高等女学校の教師と生徒達で結成された「ひめゆり学徒隊」が塔の名前にちなんでいるのです。女子生徒と教師、合わせて240名、うち教師が18名だったそうです。当時、ひめゆり学徒隊以外にも白梅学徒隊や、なごらん学徒隊など合わせて8つの学徒隊が存在していました。小説化や映像化に伴い「ひめゆりの塔」ばかりが有名になっていますが、彼女たち以外にも多くの女学生が戦争に巻き込まれたのです。ひめゆり学徒隊が最後に訪れた場所は、旧陸軍第3外科壕跡でした。この壕にいたばかりに、彼女たちは悲惨な運命をたどることとなります。脱出する前に、アメリカ軍によって毒ガス弾が投げ込まれたからです。どんなに苦しい思いをしたのでしょう。慰霊碑にはそんな彼女らの名前が連なっています。 |
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