東昌寺 とうしょうじ
元弘3年(1333)新田義貞の鎌倉攻めで、執権北条一門は東勝寺で最後を遂げたとき、寺は焼失し、住職の信海和尚は火中より、本尊の大日如来像を運び出して、池子に逃れた。そこで北条一門の霊を弔うために建立したのが東昌寺と云われている。山門を入ると左側に本堂があり、本尊の大日如来像が安置されている。右側には阿弥陀堂があり、堂内には三浦七阿弥陀仏第一番で像高259cmもある阿弥陀如来坐像が鎮座している。三浦半島ではまれな巨仏である。胎内の黒書銘には宝暦5年(1757)と書かれていて同年の制作と思われる。また、寺内中央の大銀杏の下に五輪塔がある。これは、かって葉山にあった慶増院(廃寺)の開基で、鎌倉幕府政所執事二階堂行然の墓と伝えられている。塔の水輪には金剛界大日如来の種子と地輪には「沙弥行心帰寂(しゃみぎょうしんきじゃく)」「乾元二年(1303)癸卯(きぼう)七月八日」と刻まれている。 |
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