辰巳大明神
辰巳大明神を祀る祇園新橋一帯は幕末から明治にかけて花街として隆盛を極め当寺の著名な人々がこよなく愛し、たびたび訪れた。太平洋戦争中の建物強制疎開や戦後の区画整理により、白川北岸の御茶屋や屋敷の建物が取り壊され、白川南通りが開かれ現在の町並みになった。辰巳大明神の地にあった旧家には、屋敷神として白蛇が祀られていた。旧家の移転に伴い、祠は地域に受け継がれ、巽橋北詰の橋の袂に祀られ、祇園の料理人が卵を供え、信仰していたと云われる。祠は戦後、巽橋の改修に伴い、現在の辰巳大明神の場に鎮座された。白蛇は、弁天の遣いであり、芸能への職能神・弁財天信仰として転化され、やがて、飲食業者だけでなく、祇園の舞妓、芸妓が信仰するようになり、技芸の上達とともに無病息災、商売繁盛の氏神として、毎年、寒供養祭、初午祭、土用供養祭、御火焚き祭の神事が行われ地域の絆を深め、信仰されている。 |
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