2020年 5月31日(日) その5 |
黄檗山萬福寺 |
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萬福寺
黄檗宗大本山萬福寺は、隠元隆琦禅師が幕府より近衛家領であった宇治郡小和田村に寺地を得て寛文3年(1663)に開山された禅寺である。萬福寺の伽藍配置や建築細部形式には、中国明・清時代の様式が多数用いられ、いたるところに異国的な情緒が感じられる。牌楼式の総門から山内に入ると雄大な三門が正面に堂々と立つ。 三門の手前には、修行者の自覚を促す禁牌石の石柱「不許葷酒入山門」が立ち、両側には、通用の窟門が開く。三門をくぐると天王殿・大雄宝殿・法堂が東西一直線に並び立ち、伽藍の中軸線になっている。天王殿は寺の玄関的な建造物で、弥勒菩薩の化身像とされる布袋坐像と韋駄天像そして四天王像が安置されている。大雄宝殿は本堂に当たる建物で本尊・釈迦如来坐像と、本尊を補佐する迦葉・阿難の両脇侍像が安置している。そして最高の悟りを得て、尊敬や施しを受けるに相応しい聖者たち、十八羅漢像が御堂の両翼に整然と並んでいる。法堂は説法を行う重要な建物で晋山式が行われる。内部には、須弥壇のみが置かれ、法座が構えられている。法堂の欄干には「卍字崩し」と呼ばれる独特の木組みが用いられている。天王殿と大雄宝殿は回廊で結ばれており、その間には左右対称に向き合って鼓楼と鐘楼、達磨大師と歴代官長の位牌を祀る祖師堂、伽藍を護る伽藍神を祀る伽藍堂坐禅が行なわれる禅堂そして食堂の斎堂が配置されている。斎堂入り口には梵音具である木製の魚形開鮑と青銅製の雲版が掲げられている。また、境内の参道の石條は正方形の平石は菱形に連続するよう置かれ、龍の背の鱗を象徴している。三門北方には通玄門と築地塀で隔てられた区画がある。隠元禅師を祀る開山堂、後水尾天皇寄進の舎利塔を納める舎利殿が立ち、その西側には隠元禅師の退居庵として建てられた松隠堂がある。 |
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天主殿 |
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大雄宝殿 |
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萬福寺は、明国から来日した僧 隠元によって創建されました。そして今日の日本人の生活に役立つものを多く持ってきました。 インゲン豆で知られる野菜をはじめ、煎茶、スイカそして木魚も持ってきました。その他、文字のフォントで知られる明朝体も隠元によるものです。 |
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萬福寺の境内に通じる最初の門 |
通玄門とは奥深い真理に通達するために入る門を云う |
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開山堂: 萬福寺開山・隠元隆琦を祀る御堂で、寛文3年(1663)に建立された |
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