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春日大社 |
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春日大社
「春日大社」は神護景雲2年(768)、平城京の守護と国民の繁栄を祈願するために創建された神社です。 春日山原始林に続く御蓋山の西麓に鎮座する藤原氏の氏神を祀っていて、全国に約1,000社ある「春日神社」の総本社です。神が白鹿に乗って奈良の地にやってきたとされていることから、鹿が神使とされています。祭神は、鹿島神宮から「武甕槌命(たけみかづちのみこと)」、香取神宮から「経津主命(ふつぬしのみこと)」、枚岡神社から「天児屋根命様(あめのこやねのみこと)・比売神(ひめがみ)」を招き祀っています。20年に一度執り行われる「式年造替」は、祭神がお鎮まりになる神殿や、祭神の御料で御殿の中に納める御神宝などを造り替え、修繕を行うことによって、神威のさらに若々しく力強い発揚を願う、日本人固有の信仰に基づいて行われるものです。
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南門
南門は春日大社の南回廊にあり、表参道を歩いて回廊内に入る時に潜る門で、高さは12mあり春日大社最大の楼門です。平安時代中期頃藤原氏の長者や摂関による春日詣がはじまり、その際の参向門とされました。廻廊が作られた頃には現在のような2階建ての立派な楼門となり、春日大社の正門としての性格を持つようになりました。
御間道 (おあいみち)
御本社(大宮)と若宮との間にある道なので、「おあいみち」と呼ばれています。
御間型灯籠 (おあいがたとうろう)
御間道の左右に並ぶ燈籠のこと。檜で出来た立方体の火袋が特徴的です。
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中門・御廊下
中門は御本殿の直前にある楼門で約10mの高さがあります。中門正面の唐破風(からはふ)は明治時代に取り付けられました。御廊は中門から左右に約13m、鳥が翼を広げたように延びています。現在御本殿の祭典では、神職の座る場所ですが、昔は興福寺の僧侶が常に御経をあげる場所であり、その他にも東大寺の僧侶も御経をあげていました。
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内侍殿
春日祭に当たって御神前で奉仕をする内侍(女性)が控えていた建物なので内侍殿といいます。当初は宮中より藤原氏の女性が斎女として遣わされ、斎女とともに内侍も儀式の奉仕をしていました。
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桂昌殿
江戸時代の五代将軍・徳川綱吉の母、桂昌院が奉納した建物です。天下国家安泰の御祈祷所として使用されています。また、かつては神職のお籠りにも用いられていました。
若宮神社
若宮神社では、保延2年(1136)、関白・藤原忠通公やその父の前太政大臣・藤原忠実公が列席して疫病や飢饉を治め、天下泰平、五穀豊穣、万民和楽を祈願する「若宮おん祭り」が毎年斎行されるようになりました。以来およそ900年に亘り連綿と12月に斎行され、一年を締めくくる奈良の代表的な祭りがおこなわれます。
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水谷神社 (みずやじんじゃ)
聖流水谷川に沿ってお祀りされており、素盞鳴命様・大巳貴命様・奇稲田姫様を御祭神としています。平安時代から幕末までの神仏習合時代は祇園精舎の守護神で医薬の神として尊崇され、「牛頭天王」とされていました。例祭は4月5日で、通称「水谷神社鎮花祭」として親しまれています。古くより霊験あらたか神社として名高く、病気平癒や子授けを祈る人が多いお社です。
金龍神社
若宮十五社の第14番納札社。開運財運をお守りくださる神であり、後醍醐天皇ゆかりのお宮。
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春日大社をゆっくり散策してから、春日大社の参道を下って歩き、途中、荒池公園で小休止して、繁華街の三条通りを見物し
ながらJR奈良駅までぶらぶら進みました。奈良駅からは初めて乗るJR奈良線でJR京都駅まで乗りましたが、快速電車であるのに途中駅で停車する時間が長く、不思議に思っていましたが、途中で単線鉄道であることに気が付きました。道理で途中、下り線の待ち合わせで時間が掛かっていることを理解できましたが、京都に着く前には複線になっていました。あとで分かったのですが、現在は、複線化工事を進めているところだったようです。京都駅からは山陰線丹波口駅へ行き、宿泊のホテルに着き、本日の散策を終えました。 |
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