水無瀬神宮
 水無瀬神宮 その由緒と神徳
水無瀬神宮は鎌倉時代、時の流れに翻弄され遠く都を離れた隠岐、佐渡、阿波でお隠れになられた
三天皇の御霊を弔うために後鳥羽天皇縁の水無瀬の地に建立されました。
この地は、後鳥羽天皇が都から足繁く通われ「わがふるさと」と思し召した水無瀬の離宮跡であり、
隠岐での19年の年月を過ごされていてもなお忘れることのできない思い出深い土地と
後鳥羽天皇御手印置文(ごとばてんのうしんかんおていんおきぶみ)」(遺言書)には書かれています。
この水無瀬は都から近く、淀川を利用して船の便もあり、桜、山吹、菊なども多く咲いています。
さらに、木津、宇治、桂の三川の合流点しかも両岸に小高い山々が迫り、眺望が非常に美しい土地であり
多くの歌や文学も生まれ、後鳥羽天皇の命により編纂された勅撰和歌集「新古今和歌集」は有名です。
後鳥羽天皇は生前、多芸多能、文武両道にすぐれた才能を発揮されましたので、
朝廷、武家からも崇敬され現在も学問、スポーツの神として崇められております。
また、正平二年(1347)五月には、足利直義(尊氏の弟)が夫人の安産祈祷を行い
無事男児をもうけており、それにより今日でも安産祈願の申し込みはたくさんおります。
水無瀬神宮から、東に向って徒歩10分のところに「後鳥羽上皇水無瀬宮跡」の碑が建っている。
この離宮で、後鳥羽上皇は、政務にも携わり、和歌を詠み、流鏑馬も楽しんでいたのです

                                                                                                                                                     つづく