源德寺 (吉良仁吉の菩提寺)

  吉良町にある浄土真宗大谷派 源徳寺では毎年6月に吉良三人衆と呼ばれる高家吉良上野介義央、任侠吉良仁吉そして人生劇場を執筆した作家尾崎士郎を供養する墓前祭を兼ねた「仁吉まつり」が行われている。この源徳寺には任侠清水次郎長が建立した吉良仁吉の墓がある。
 吉良仁吉は、三州吉良横須賀に没落武士の子として生まれた。義理人情に厚く、無口だが腕っ節と相撲が強く、相撲の上での喧嘩で侠客の親分の寺津の間之助に匿われたのがきっかけとなり、18歳から3年間を次郎長の下で過ごした。次郎長と兄弟の盃まで交わす仲となった後、仁吉は吉良に帰り、任侠家業を順調に伸ばしている頃、桑名の侠客穴太(あのう)の徳次郎が、次郎長の子分伊勢神戸の吉五郎の縄張りである荒神山観音寺の賭博で開帳するシマ荒しを起こし伊勢荒神山を奪った。これに怒った吉五郎は、清水次郎長や仁吉に助っ人を頼んだ。義理、人情に篤い仁吉は快諾して、翌朝、吉良から一日半掛けて伊勢神戸荒神山観音寺に着いた。世に言う「荒神山の喧嘩(血闘)」に乗り込んだ。喧嘩は吉五郎側が勝利を収めたが、吉良の仁吉は鉄砲で撃たれた上、斬られて死亡した。享年28。後世、人情物の講談や広沢虎造の浪花節(浪曲)、演劇や数々の映画、歌謡曲などの題材として よく取り上げられ、名が知られる存在となった。
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