天正3年(1575)長篠の戦いで大敗した武田勝頼は、以後領土の内政に注力して、敵軍侵攻に備え、新府城を築くなどして、領国の守備に腐心したが強大化した織田・徳川連合軍の攻勢を受け劣勢に追い込まれた。勝頼は新府を捨てて、岩殿城に向ったが、味方の武将小山田信茂の裏切りに遭い、進退が極まり、田野と呼ばれる地で夫人、長男ともども自刃した。この田野の地には、後年甲斐国を治めた徳川家康は田野に寺院を建てさせて、武田勝頼はじめ一族の菩提を弔った。この寺院が景徳院である
景徳院
景徳院は甲斐大和駅から、徒歩30分ほどのところにある。駅前には勝頼公の軍配姿を刻んだ像が建てられ悲運の武将を慰励している。