弘明寺
   弘明寺(ぐみょうじ)は、真言宗瑞應山蓮華院と号し、横浜市内最古の寺院である。 ケヤキの一木造りで、鉈彫りの典型的な作例として有名な本尊の木造十一面観音立像(弘明寺観音)は、国の重要文化財。寺名は、鎌倉時代には「求明寺」と表されていた。その後、観音経偈文にある「弘」の字を当てて弘明寺に改めたといわれている。天平9年(737)に行基が観音像を刻んで一宇を建立したと伝えられ、行基を以って開基としている。 弘仁年間(9世紀初期)には空海自らが双身歓喜天(弘明寺聖天)を彫刻し安置したと伝わる。鎌倉時代には源将軍家累代の祈願所であった。戦国時代には北条早雲から寺領を得て、江戸時代には歴代将軍から朱印地を賜り、坂東三十三箇所観音霊場の十四番札所として信仰を集めた。 当山は広い寺有地を有していたが、明治初期の廃仏毀釈以降による公有地化、および民有地化で寺有地は過去の約2割に縮小した。境内には寛徳元年(1044)建立された本堂 、応永18年(1044)建てられた楓関門と呼ばれる四脚門、江戸時代に建てられた仁王門、霊石として信仰を集めている七つ石、京浜急行電鉄に奉納4された身代地蔵など見所が沢山ある寺院である。