逍 遙 その3 高輪ゲートウェイ駅、正覚寺 |
駅の近くにある「大木戸」をゲートウェイと名付けたJRの狙いは知らないが、
やはり長たらしい名に思える。将来「高ゲー」になるとの意見も。 |
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正覚寺 |
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「火事と喧嘩は江戸の花」軽佻浮薄な江戸っ子気質を表わしている言葉だが、江戸で起きた火事は明暦の大火と明和の大火に代表されるが、もう一つの喧嘩は芝大神宮で起きた「め組の喧嘩」に代表される。さて、事の起こりは、芝神明の境内で、神社の寄付金集めに江戸勧進相撲が開かれたとき、そこに役柄上、顔パスで入場が認められていた町火消し「め組」 の鳶職人2人が火消し以外の一人を連れて中へ入ろうとしたのを相撲小屋木戸番の力士にとがめられ言い合いになったことに始まる。 しかし、ここでは、鳶職人側が折れ、相撲見物を諦め、代わりに同じ境内での芝居を見に行った。芝居小屋に入った鳶職人は、たまたま見物にきていた力士を見つけ、相撲小屋での腹いせに無関係の力士に因縁をつけ、殴る蹴るの暴行に及んで芝居の方は滅茶苦茶にしてしまった。しかし力士側が譲り、近くの茶屋で双方が手打ち式をしてその場は治まった。ところが、この話を聞いた相撲部屋の師匠から 「それでお前らはおめおめ引き下がってきたのか」 などとなじられ、部屋の力士数人とともに茶屋へ取って返し、飲み直していた先の鳶職人たちに殴りかかった。不意を突かれて驚いた鳶人足が近くの火の見櫓に上り、半鐘を乱打し加勢の仲間を集めたので、喧嘩の輪が広がり、これを聞いて力士も集まり、そのあるものは抜刀して打ち掛かり、多くの怪我人も出るなどの乱闘が4時間あまり続く大騒動になった。遂に、南町奉行の与力、同心が出て、暴徒を縛り上げ、やっと事態が収拾した。こうして事件関係者双方を捕えたものの、当時、町火消しは町奉行、相撲側は寺社奉行とそれぞれ管轄が違っていたため、双方を公平に裁くために関八州内江戸府外の訴訟を管轄する勘定奉行も加わる大ごとになった。 三つの奉行が一つの裁判に関与するのは、極めて稀なことだった。吟味の結果、捕縛された火消し側は、事件の発端となった関わった鳶職人たちに「百叩き」刑や「江戸払い」「過料(罰金)」などを、言い渡した。一方、相撲側にも「江戸払い」「無構」(構い無し、無罪)などを言い渡した。火消し側に厳しかったのは、事件の発端が 「め組」 の鳶職人にあったことと火事以外に叩くことを禁じられていた半鐘を喧嘩のために打ち鳴らして騒動を大きくした罪に問われたからだった。これだけの大喧嘩にしては厳しく問われなかったのは、死者が出なかったこともあるが、当時の南町奉行・根岸肥前守鎮衛が”芝明神の半鐘が勝手に鳴り出したのが喧嘩の原因である”と断罪し、この半鐘に 「遠島」を申しつけるという粋な計らいをした。その半鐘は、明治になって遠島の刑が廃止された後、芝明神に返された。 |
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あちこち移動した散策であったが、近くに行きながら、訪れなかった
史跡、仏閣を確認できて、大変気分の良い日でありました。 |
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