山形城は、最上氏の祖斯波兼頼が、延文2年(1357)に築城したと伝えられている。兼頼の子孫は、その後最上氏を称して、代々居城した。最上氏11代当主義光の代に、関ヶ原合戦の戦功により、57万石の大々名となり、実質100万石の城下町として山形は繁栄した。
しかし、義光の孫・家信(義俊)の代に、家中不取締りの罪により、最上氏は改易され、その跡に鳥居忠政(24万石)が入部したが、忠政は山形城の本丸・二ノ丸を改築したので、現在の二ノ丸跡は、鳥居氏時代の遺構といってよい。
鳥居氏の以後、城主は11氏(幕領2回)が頻繁に交替し、最後の城主水野氏は、僅か5万石で明治維新を迎えた。 (山形観光協会) |
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