YIA鎌倉散策
2025年4月5日(土) YIA歩こう会は「鎌倉WALK」を行う事になりました。何度か訪れた鎌倉ですが、桜のシーズンはかくべつなものがあります。さいわい、好天気に恵まれ、訪れる名所・行楽地では、すべて桜が開花して迎えてくれました。行き交う人々のなかで外国からやって来た人たちの表情からは、この日本の春の風景を満足下に堪能している様子が感じられて、こちらも自然と頬が緩み、笑顔になっていました。   
十六夜日記作者・阿仏尼住居跡
01阿仏尼住居跡

阿仏尼(あぶつに、1222年頃 - 1283年頃)は、鎌倉時代中期の女流歌人・随筆家です。京の貴族・藤原定家の弟子であり、和歌や文学に優れた才能を発揮した。夫は藤原為家で、彼との間に子・為相(ためすけ)をもうける。彼女の代表作『十六夜日記(いざよい)』は、鎌倉への旅の記録と心情を綴った紀行文学です。1280年頃、所領相続を巡る争いのために鎌倉へ下向し、碑の建っている地付近に住まいして、訴訟のために門注所へ通いつづけたと言われています。1283年4月8日、阿仏尼は鎌倉で死す(59歳)が、1313年鎌倉幕府の最終判決で為相(阿仏尼の子)の勝ちとなった。阿仏尼が鎌倉へ下って34年後、阿仏尼が没して30年後、やっと播磨国の所領地細川庄は為相(阿仏尼の子)のものとなった。その旅路や鎌倉での訴訟の様子を詳細に記した十六夜日記は、鎌倉時代の社会や女性の立場を知るうえで貴重な資料とされている。また、阿仏尼は歌人としても活躍し、『続千載集』などの勅撰和歌集にその作品が収められている。彼女の和歌は、繊細な情感や深い思索を反映し、多くの人々に影響を与え、中世の女性が直面した困難と向き合いながら、文学を通じて自己を表現した稀有な存在であり、その作品は今日まで高く評価されています。

 
伝上杉憲方墓所
 02 伝上杉憲方墓(でん うえすぎ のりかた はか)
室町時代の武将 上杉憲方 のものと伝えられている墓所です。上杉憲方は、鎌倉府の重臣で、上杉氏の中でも「犬懸(いぬがけ)上杉家」と呼ばれる名門の当主。上杉憲方は、室町時代前期、鎌倉公方・足利氏満(うじみつ)や足利持氏(もちうじ)に仕え、関東の統治に尽力した人物です。特に、山内(やまのうち)・犬懸(いぬがけ)・扇谷(おうぎがやつ)などに分かれる上杉氏の中で、犬懸上杉家は鎌倉府内での影響力が非常に強かったとされています。
○ 憲方は山内上杉家の当主であり、関東管領として鎌倉府を支えた。
○ 扇谷上杉家とは当初は協力関係だったが、後に対立することもあった。
○ 犬懸上杉家・宅間上杉家とも連携し、関東の上杉勢力を維持した。
○ 孫の代を経て、長尾氏(のちの上杉謙信)を迎え、関東管領職を謙信に授ける。
極楽寺
 03 極楽寺(ごくらくじ)
山号(さんごう):霊鷲山(りょうじゅせん)
宗派:真言律宗
本尊:釈迦如来
創建:文永元年(1264年)
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開基:北条重時(鎌倉幕府中期、六波羅探題北方・鎌倉幕府連署など幕府の要職を歴任。第3代執権北条泰時の異母兄)
開山:忍性(にんしょう)上人(真言律宗開祖叡尊の弟子であり高僧)
忍性は奈良・西大寺の叡尊のもとで、仏教の教えを基に医療・福祉・社会事業に尽力してその高名は天下に知られていました。重時は、忍性を開山に迎え、極楽寺においても、病院(施薬院)・施療所・孤児の養育施設などの社会事業を兼ね備えた貧民への救済事業を行なわせるなど、民衆に深く信頼された極めて先進的な寺院を作りました。
境内にある忍性の墓塔は鎌倉時代の貴重な石造宝篋印塔で、国の重要文化財に指定されています。極楽寺は、単なる観光寺院ではなく、社会福祉と救済を理念に据えた革新的な宗教施設でした。忍性上人の生き方と功績を伝えるこの寺は鎌倉仏教の中でも特に人道的な側面を強調した稀有な存在でした。
 
月影地蔵
 04月影地蔵(つきかげじぞう)

鎌倉にある極楽寺坂切通しの途中にひっそりと佇む地蔵尊で、地元の人々に長く信仰されてきた存在です。正式名称は月影地蔵尊と言います。 「極楽寺坂切通」は、鎌倉七口のひとつで、中世の交通の要所です。月影地蔵はその道沿いにあり、まるで道行く人を静かに見守っているような場所にあります。現在も木立の中にあり、観光客が通り過ぎてしまうほどひっそりとした雰囲気です。「月影」の名は、地蔵のそばに差し込む月の光が幻想的だったことに由来するとも、または、「月影はすべての人に平等に降り注ぐ」=「地蔵の慈悲もすべての人に平等」という仏教的解釈からとも言われています。月影地蔵は、旅人の安全、子どもの守り仏、身代わり地蔵として信仰されてきました。中世には極楽寺に向かう巡礼者や病人がこの前を通ったと考えられ、ここで手を合わせる習慣があったといわれています。江戸時代の紀行文などにもこの地蔵の存在が記されています。川端康成の小説『山の音』や大岡昇平の随筆などにも「月影地蔵」が触れられています。