第42回 お江戸散策 洗足池公園~ 碑文谷公園 

 
 
(概要)
2024年6月26日(水) 第42回 お江戸散策は 大田区の洗足池から目黒区の碑文谷公園までの、およそ「16000歩の歩きんぐ」になります。 大岡山駅を出るとすぐに国立東京工業大学があります。当大学は2024年10月に東京医科歯科大学と統合し、 東京科学大学  に改称される予定とのことです。
今回の散策は、当大学の大岡山キャンパスを通り抜けして洗足池公園に向ことにしました。15分ほどで、洗足池に辿り尽きました。池の周辺には千束八幡宮、洗足弁財天、日蓮上人ゆかりの妙福寺、勝海舟記念館、勝夫妻墓所があります。静かな池の風景は池畔に面した赤い鳥居や古木が生い茂った寺が詩的な雰囲気を加えて訪れる者の気分を癒やしてくれます。幕府側全権代表・勝海舟は、新政府軍統括参謀・西郷隆盛との会談で、その会見場・池上本門寺に向かう途中、洗足池に立寄り、この池の風情を眺めてすっかり惚れ込んだそうです。そして後年、海舟はこの池の畔を買い求めて、別邸を建て、ここに住みました。池を後にして東急目黒線洗足駅に至ります。(昼食) 円融寺通りのバス路線を歩いて行くと「洗足学園」のバス停があります。川崎市高津にある洗足学園音楽学校はココが創立の地なのです。つづいて立合川緑道に入ります。田園を流れる立合川を暗渠にして、現在、桜の並木道になっています。しばらく歩くと、右手に古刹圓融寺があります。想像以上に大きな寺院で、伽藍に配置された堂宇が建ち並び、近郷で一番大きな寺院と言われています。続いて、キリスト教カソリックのサレジオ教会を訪れ、内部を見学します。そして村社・碑文谷八幡宮には、当地名の起因となった碑文石を見学します。次に竹藪を公園にしたすずめのお宿緑地公園から旧富農・栗山家の住居を見学してから、目黒通りを横切り、住宅街を進んで、東横線の高架下を抜けると本日の最終散策地、碑文谷公園に到着です。
洗足池 
洗足池

  湧水池であり、流れ込む川はないが、付近一帯には農家が作物の洗い場として利用していた大小の湧水が多くあり、用水路を通して池に流れ込んでいた。洗足池の主要水源となる湧水は4か所あったとされ、現在は清水窪弁財天の涌水が残っている。今も水量が豊富で、浸透管を用いて洗足池に流れている。この地域の古い地名は「千束(せんぞく)であって、その名は平安時代末期の文献にも見られる。由来としては仏教用語の千僧供料の寺領の免田(めんでん)であって、千束の稲が貢租(税)から免除されていたとする説や、「大池」(洗足池の別称)を水源として灌漑に利用されたので(いね)千束分(せんぞくぶん)の税が免ぜられていたとする説などがある。のちに、身延山久遠寺から常陸へ湯治に向かう途中の日蓮が、池のほとり(後に妙福寺が建立)で休息し足を洗ったという言い伝えが生まれ、千束の一部が「洗足」となった。 日蓮が袈裟をかけたと言われる「袈裟掛けの松」(3代目)も残っている。池の北側の中島には弁才天が祀られている。