千束八幡神社
 千束八幡神社
 千束八幡神社のの縁起は意外に古く、今から約1200年前の貞観年間、宇佐八幡宮を勧請し、旧千束郷の総鎮
 守として創建されたと伝わります。様々な伝承も残されていて平将門の乱を抑えるために派遣された藤原忠方
 が、乱を平定後に千束八幡を氏神としてこの地に残り、池上姓を名乗った。また、後三年の役で奥州討伐へ
 向かう源義家が、洗足池で禊ぎをして戦勝を祈願したとも伝えられています。そして、源頼朝が旗挙げの地
  とした伝説も残っていて、「旗挙げ八幡」とも呼ばれる由緒ある神社なのです。
 
 
 「池月」(いけづき:生月) ~ 源頼朝愛用の名馬

 治承4年(1180)に源氏再興の挙兵をした源頼朝は、石橋山の戦いに敗れた後、海路安房(源頼朝上陸地)へ渡り、
 千葉常胤
上総介広常らの武将を従えて鎌倉へと向かった。その途中、洗足池の畔に宿営し、諸将の到着を待ったという。
 その折、どこからともなく野馬が飛来。その嘶く(いななく)声は天地を震わすばかり。
 郎党が捕らえてみると、逞しい馬体は、青い毛並みで白の斑点を浮かべていたという。
 突然、源頼朝の前に現れたこの野馬は、「池に映る月影」のようであったことから「池月」と名付けられ、頼朝の乗馬とされた。
 これより前、源頼朝は、同じく「磨墨」(するすみ)も得ており、今また「池月」を得たことは平家征伐軍の「勝利の吉兆」である
 として、征旗を高らかに掲げたという。