招福寺
 妙福寺
 1282年日蓮上人がに身延山から、武蔵国・池上にある池上宗仲の館(現・本門寺)に向かう途中に、近隣の大池 (現・洗足池)にさしかかった。その際日蓮はここで休憩を取り、傍の松の木に法衣をかけて(袈裟かけの松)、池の水で手足を洗った。これに因んで、この池を洗足池と言われるようになった。すると、池から七面天女が現れたという。後に、このことを記念して七面天女を安置するお堂を建てた。この堂を「御松庵」と名付けた。一方妙福寺は日慈が、現在の中央区の日本橋馬喰町に寛永年間以前に草創した寺である。しかし、1657年の明暦の大火のなどで本堂などが焼失し、浅草に移転したが、後年、1923年の関東大震災でまたも焼失して、1927年に当地に移転してきて既存の御松庵と合併して、妙福寺として再建された。