金鳳山 平林寺

金鳳山平林寺は、永和元年(1375)、今から約650年ほど前の南北朝時代、武蔵国岩槻に創建されました。開基は、禅に深く帰依していた大田備州守春桂蘊沢居士(しゅんけいうんたくこじ)、開山には鎌倉建長寺住持で、書や偈頌(げじゅ)に優れていた当代の高僧、石室善玖(せきしつぜんきゅう)禅師が迎えられました。「金鳳山」と名付けられた山号は、かつて石室禅師が元に渡って修行した金陵(南京)の鳳台山保寧寺(ほうたいさんほねいじ)に由来しています。また寺号は、寺の伽藍が平坦な林野に見え隠れする様子から「平林寺」とされました。  

総門
参詣者を迎える茅葺屋根の堂々たる総門。山号扁額「金鳳山」。門柱には「臨済宗平林寺専門道場」と掲示しています。
県指定有形文化財建造物です。

半僧門
平林寺では毎年4月に半僧坊祭が催行されます。半僧坊とは、天狗に似た姿の守り神です。家内安全、厄災消除、諸願満⾜など、現世の利益を叶える「はんそうさま」として地元の⼈々の厚い信仰を集めてきました。同門は、その大祭の時に信徒が通用する門です。
山門
扁額
は扁額は凌霄閣(りょうしょうかく)と読む。江戸初期の高名な文人石川丈山が京都詩仙堂に揮毫したもので、それを塗り直した作品。「凌霄閣」の凌(しのぐ)とは困難や苦境などを乗り越えて進むの意。霄は空の意。つまり、空を凌ぐほど志が高いという意味。
 仁王像
 平林寺は、永和元年(1375)岩槻に創建され、寛文3年(1663)川越藩主松平信綱の遺志を受けた輝綱が現地に移転した臨済宗妙心寺派の古刹です。茅葺屋根の二層構造の山門はそのとき仁王像二体も移転されてきて安置されてました。仁王像は、向かって左側が吽形で右側が阿形像。仏教の教えに歯向かうものを追返す守り神の役目を成しています。
 仏殿 : 
形状が端正で、威厳も感じる佇まいの堂宇。本尊には釈迦如来坐像、脇侍には迦葉尊者と阿難尊者を祀っています。扁額は江戸中期の書家三井親和(みついしんな)の揮毫です。県指定有形文化財(建造物)。
半僧坊感応殿
 半僧坊とは、半僧半俗の姿をした摩訶不思議な神通力を持つ守護神と謂われ、平林寺の半僧坊大権現は静岡の方広寺、鎌倉の建長寺と合わせて日本の三大半僧坊の一つとされています。
本堂 (一般の立ち入リ不可)
静かな放生池に映える紅葉した木々の光景は誠に美しく見え、カメラに治めたくなります
 つづく