高輪大木戸跡

高輪大木戸跡 (たかなわおおきどあと)
高輪大木戸は、江戸時代 元禄9年(1696)に設置されました「江戸の境界を示す関所のような施設」であり、特に交通の監視や防衛、治安維持の役割を果たしていました。巨大な木の門と石垣が築かれ、通行人の監視が行われていました。とくに江戸の町に入る旅人や物資を監視し、不審者や危険物の流入を防いで人馬の通行や荷物の検査などが行われていました。江戸は幕府の直轄地であり、江戸城の防衛線の一部として、万一のときの足止めや防衛線としても機能も果たしていて、治安維持が厳格でした。また、北の吉原遊郭に対して南の品川遊郭があり、遊興に出掛ける殿方(薩摩)や坊主(増上寺)たちの衣装替えの店や鬘貸しの店が札の辻から大木戸手前に立ち並んでいたようで、歌川広重の浮世絵に描かれています。宝永 7(1710)に、東海道の両側に石垣(赤丸)が築かれ、その間に門と柵があったといわれています。海岸の景色も美しく、月の名所としても有名であったため、沢山の人が集まり、賑わいました。門と柵はのちに撤廃され、石垣だけが残りましたが、この大木戸と広大な海岸の風景は、浮世絵の題材としても好まれ、多くの作品が残されています。