水争いを科学的・平和的に解決した久地円筒分水

 久地円筒分水
  江戸時代、二ヶ領用水は多摩川から上河原堰及び宿河原堰の2箇所で取水されたのち、高津区久地で合流し、久地分量樋へ導かれ、そこで久地堀、六ヶ村堀、川崎堀、根方堀の四つの堀に分水されていました。久地分量樋は、樋(水門)によって、決められた水を分ける施設でしたが、正確な分水ができず、水量をめぐる水争いが絶えませんでした。そこで、昭和16(1941)年に「久地円筒分水」が造られました。二ヶ領用水から取り入れられた水は、平瀬川の下を潜り、再び噴き上がってきた水を円筒の円周比により四つ堀に分水し、各堀へ正確に用水を供給しています。
久地神社
久地神社は、川崎市高津区久地にある神社です。久地神社の創建年代等は不詳ながら、赤城神社と称して、現在本社とする溝口神社と兄弟神だったといいます。明治初年祭神を天照皇大神に改めて久地神社と改称、明治14年には久地地区の三社を合祀したといいます。