天正18年(1590)7月5日、豊臣秀吉の小田原攻めによって小田原北条氏(後北条氏)は降伏し小田原城は落城した。秀吉の側近黒田如水(官兵衛)の説得によるものだったという。 四代当主氏政とその弟の氏照は切腹、当時小田原城主だった五代当主氏直は徳川家康の娘婿であったため助命され高野山へ追放された。 翌天正19年(1591)、氏直は秀吉より一万石が与えられ大名として復活する動きもあったが、同年11月4日に死亡している。 そのため、小田原北条氏は北条氏規(北条氏康の五男)が継承し、その子氏盛は狭山藩主となり狭山藩北条氏として明治維新まで存続した。 早雲寺の北条五代の墓は寛文12年(1672)、狭山藩北条家五代当主の氏治が北条早雲の命日である8月15日に建立したもの。 |
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