吉田神社
吉田神社は、貞観元年(859)、藤原山蔭が一門の氏神として奈良の春日大社四座の神を勧請したのに始まる。後に、平安京における藤原氏全体の氏神として崇敬を受けるようになった。『延喜式神名帳』への記載はないが、永延元年(987)より朝廷の公祭に預かるようになり、正暦2年(991)には二十二社の前身である十九社奉幣に加列された。鎌倉時代以降は、卜部氏(後の吉田家)が神職を相伝するようになった。室町時代末期の文明年間(1469 - 1487)には吉田兼倶が吉田神道(唯一神道)を創始し、その拠点として文明16年(1484)、境内に末社斎場所大元宮を建立した。近世初めには吉田兼見が、かつて律令制時代の神祇官に祀られていた八神殿を境内の斎場に移し、これを神祇官代とした。江戸時代に入ると社領は590石であったが、寛永5年(1665)江戸幕府が発布した諸社禰宜神主法度により、吉田家は全国の神社の神職の任免権(神道裁許状)などを与えられ、明治になるまで神道界に大きな権威を持っていた。鎌倉時代以降は、卜部氏(後の吉田家)が神職を相伝するようになった。室町時代末期の文明年間(1469
- 1487)には吉田兼倶が吉田神道(唯一神道)を創始し、その拠点として文明16年(1484)、境内に末社斎場所大元宮を建立した。近世初めには吉田兼見が、かつて律令制時代の神祇官に祀られていた八神殿(明治5年に宮中に遷座した)を境内の斎場に移し、これを神祇官代とした。江戸時代に入ると社領は590石であったが、寛永5年(1665)、江戸幕府が発布した諸社禰宜神主法度により、吉田家は全国の神社の神職の任免権(神道裁許状)などを与えられ、明治になるまで神道界に大きな権威を持っていた。 |
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