2020年 5月28日(木) その8
八坂神社
八坂神社
祭神は素戔嗚尊 (すさのをのみこと)、櫛稲田姫命 (くしいなだひめのみこと・素戔嗚の妻)、八柱御子神 (やはしらのみこがみ)。 明治維新まで祇園社または感神院と称していたが、明治元年(1868)の神仏分離令により「八坂神社」と改名された。 創祀は、諸説あるが社伝では斉明天皇2年(656)と伝えられ平安遷都がなされた延暦13794)以前よりこの地に祀られていたとされる。また、貞観11年(869)疫病流行の際、当社の神にお祈りして始まったのが祇園祭である。平安時代には二十二社の一に数えられ、朝廷からも厚く崇敬された。一方、民衆の信仰も深く京都はもとより全国に広く崇敬されるようになった。現在ではこの神を祀る神社は三千余社に及ぶ。正月三が日の初詣の参拝者数は近年では約100万人と京都府下では伏見稲荷大社に次ぐ2位となっている。
    楼門 - 明応6年(1497)西楼門とも称する。本殿の西方、四条通りの突き当たりに建つ。切妻造の楼門(2階建て門)。
    本殿 - 1654年、一般の神社では別棟とする本殿と拝殿を1つの入母屋屋根で覆った独特の建築様式をとり「祇園造」と言われる
 石鳥居 - 本殿南側の正面入口に立つ。1646年建立。1662年の地震で倒壊後、1666年に補修再建された
丸山公園
 円山公園
 円山公園一帯は、明治維新までは八坂神社や安養寺、長楽寺、雙林寺境内の一部であった。明治初年の廃仏毀釈の一環として、明治4年に上知令によって土地が政府に没収され、明治19年に総面積約90,000m2の公園が設けられた。明治20年には京都市へ移管され京都市初の都市公園となった。園地計画は「関西建築界の父」と云われた武田五一がまとめた。人工鉱泉療養所や貸席が建ち並び、歓楽境をなしていたが、火災で焼失したあと大正元年に、名庭園家小川治兵衛により池泉回遊式の日本庭園が作庭されて、現在の形となった。昭和2年に開堂した円山公園音楽堂は約3,000人を収容可能な屋外ホールとして利用されている。園内には坂本龍馬と中岡慎太郎の銅像、雙林寺、西行庵、芭蕉庵、などの旧跡がある。祇園枝垂桜の名所としても有名である。