手向山八幡宮
手向山八幡宮
紅葉の名所、手向山の山麓にあり天平勝宝元年(749)、東大寺及び大仏を建立するにあたって豊前国宇佐八幡宮より東大寺の鎮守神として勧請されました。当初、東大寺大仏殿南方の鏡池付近に移座したが、治承4年(1180)の平重衡による南都焼討で焼失しました。文治4年(1188)に東大寺大勧進職の重源によよって社殿が再建されました。その後、建長2年(1250)に北条時頼によって現在地に移転されました。その後、江戸期の元禄4年(1691)に本殿が再建されています。創建以来、東大寺に属しその鎮守社とされてきましたが、明治4年(1871)の神仏分離の際に東大寺から独立し、県社に列せられている。その時、東大寺にあった東照宮の社殿と祭神は当社に移されて今日に至っています。
菅原道真の歌は、百人一首に選ばれています
若草山 (三笠山)