露国皇太子遭難事件
明治時代の滋賀県大津で起きたロシア皇太子斬傷事件は、1881年にロシア皇太子アレクサンドル2世が大津を訪れた際に発生しました。皇太子は右腕を負傷するほどの重傷を負いました。犯人の正体は警備の警官津田三蔵であることが判明しました。事件後、犯人は裁判に掛けられ大審院長児島惟謙よって懲役刑を宣告されました。その後、精神的不安定さが指摘され、療養のために施設に収容されました。この事件は、日露関係に一時的に大きな不安と緊張をもたらしましたが、犯人を死刑に導こうとする政府の干渉を退け、司法側が司法権独立の擁護者として名を高め、外交的には平和に収拾され、露国側は不満は示さず日露の交流は続きました。 
 
                                            つづく