岐阜城

 岐阜城
  岐阜城は、かつて稲葉山城と称し、戦国時代には、斎藤道三公の居城でもあったところです。特に岐阜城の名を天下に示したのは、永禄10年(1567)8月、不世出の英傑織田信長公がこの城を攻略し、この地方一帯を平定するとともに、地名も「井の口」を「岐阜」と改称するとともに、天下泰平の世を創る決意表明として「天下布武」を掲げ、畿内統一の本拠地としました。城内は史料展示室、楼上は展望台として多くの人に親しまれています。 また、金華山一帯は平成23年(2011)に「岐阜城跡」として国史跡に指定されています。岐阜城は現在、築城されている城郭のうちでは、有数の高地(標高329m)にあり、最上階からは、眼下には鵜飼で有名な清流・長良川の市内を貫流する情景を俯瞰する事ができます。東には恵那山、木曽御岳山の雄大な姿を望見できます。そして北方に目をやると乗鞍岳、日本アルプス連山を望むことが出来ますし、西には伊吹山、養老山系、鈴鹿山脈の山々が連なり、南には肥沃な濃尾平野が豊かに開け、木曽の流れが悠然と伊勢湾に注いで行くさまを一望におさめることができます。 快晴の日であれば、半日風景を楽しめるところでしょう。
 *注: 現在の城は昭和31年7月、岐阜城再建期成同盟によって復興されたものです。
織田信長像 不武とは、「戈(ほこ)」を「止める」の意
 シドニー・五輪・マラソンで金メダルを取った高橋尚子は高校時代、この急峻な登山道を幾度も上り・下りしたそうです

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