円徳寺 

円徳寺
   織田信長織田信秀(父)・織田秀信(孫・三法師)ゆかりの寺として知られています。
永禄10年(1567)織田信長は岐阜に入城すると、その年に「楽市・楽座」という制度をつくります。それまで、商人たちは市が開かれる場所で自分の商品を売るときは、土地の所有者である寺などに場所代を支はらわなければなりませんでした。また組合に属していなければ店を出すことも許されていませんでした。信長は「楽市・楽座」によって、それまではらわなければならなかった税を免除し、だれでも自由に商売できるようにしたのです。「楽」とは、「自由」という意味です。それを開放した場所を円徳寺周辺を選びました。この「楽市・楽座」によって、町はにぎわいました。また、これによって信長は、商人たちを味方につけることができるようになりました。天下布武の政策を勧めるための資金、情報をこの制度から得るようになりました。同寺院には、信長が寄進した梵鐘が寺宝として残されています。織田秀信は、関ヶ原の戦いにおいて、西軍側に付いたため池田輝政福島正則に包囲され、当山で剃髪し仏門入りました。その秀信公髪切塚が境内にあります。
楽市・楽座の制度は、この寺院の境内から始まりました

                                                                                                                                                     つづく