12月14日(金) 予てより訪れたいと思っていた日光東照宮へ、都合よく天候良好な日がやって来たので飛び出すように出掛けた。東武浅草駅を7:30の特急電車乗車したら、9:20に東武日光駅に着いた。これで十分ゆっくり、日光東照宮の散策ができる。浮かれる気分で、日光市街の街並みを15分ほど歩いたら、日光の人気スポット「神橋」‎着いた。朝、まだ早い時間なので、神橋の周辺には10人ほど観光客いたがさほど多くない。暫く、見学ののち、東照宮への参道に入る。この先は、登り階段、ゆるやかな坂道が続いたが。修築工事中の輪王寺三仏堂の前に辿り着いた。巨大な堂宇である。いよいよ日光輪王寺・日光東照宮への散策スタートである。 
日光輪王寺・日光東照宮
  聖地日光の表玄関を飾るにふさわしい朱塗に映える美しい神橋は、昔は「山菅の蛇橋」と呼ばれ日光二荒山神社の建造物で国の重要文化財に指定され、平成11年12月に世界遺産に登録された。橋の長さは28m、巾7.4m、高さ(水面より)10.6mあり、高欄には親柱10本を建て、それぞれに擬宝珠が飾られ(乳の木)と橋板の裏は黒漆塗、その他は朱で塗られている。奈良時代の末に、神秘的な伝承によって架けられたこの橋は神聖な橋として尊ばれ、寛永13年に現在のような神橋に造り替えられた。神事・将軍社参・勅使・幣帛供進使などが参向のときにのみ使用され、一般の通行は下流に仮橋(日光橋)を架けて通行することとされた。昭和57年男体山頂鎮座1200年祭斎行に際し、大修理が行われ広く一般に公開された。 山間の峡谷に用いられた「はね橋」の形式としては我国唯一の古橋であり、山口県錦帯橋、山梨県猿橋とともに日本三大奇橋の1つに数えられている。
日光山に家康公を東照大権現として祀ることを進言した高僧 奈良時代の末、日光山を開いた山岳修行修験僧 
   日光三山の本地仏を祀る御堂「三仏堂」は日光山最大の規模を誇る木造建造物で、千手観音(男体山)・阿弥陀如来(女峰山)・馬頭観音(太郎山)三体の仏像がまつられている。現在、修復工事中だが、2020年春完工の予定。
 【五重塔】 慶安3年(1650)若狭・小浜藩主 酒井忠勝によって奉納された。文化12年火災に遭ったが、文政元年(1818)に同藩主 酒井忠進によって再建された。
【 三神庫(さんじんこ)】上神庫・中神庫・下神庫を総称して三神庫と言い、この中には春秋渡御祭「百物揃千人武者行列」で使用される馬具や装束類が収められている。また、上神庫の屋根下には「想像の象」(狩野探幽下絵)の大きな彫刻がほどこされている。
神厩舎は、ご神馬をつなぐ厩。昔から猿が馬を守るとされているところから、長押上には猿の彫刻が8面あり、人間の一生が風刺されている。中でも「見ざる・言わざる・聞かざる」の三猿の彫刻が有名。 三猿の教え 
 水盤は元和4年(1618)佐賀藩鍋島勝茂が奉納  仏教の経典などを回転式書架に納め保管した蔵
  陽明門は国宝である。楼門の高さ11m、間口7m、奥行4.4mある。故事逸話、子供の遊び、聖人・賢人など505体の彫刻で覆われており、いつまで見ていても飽きないところから「日暮らしの門とも呼ばれている。屋根の上には鬼瓦、軒下には後水尾天皇の御真筆象った御神号の扁額が掲げられ、その両脇には麒麟が配されている。そしてその下には龍と息(霊獣)が二列に並び、さらに、その下に龍の全身像と龍馬が居る。さらに、二階の廻縁の高欄には「千人唐子の知恵遊び」その下には唐獅子や中国の君子の姿、通路両側の脇の間には随身が控える。陽明門に見られる多くの人物像は泰平の世をもたらした徳川家康公の功績を称え、理想的な政治のあり方を示すものと云われている。背面にある地紋が逆さになっている「魔除けの逆さ柱」は、物事は完璧であると反って、魔が差すとの考えから故意に形を崩したものと云われている。
徳川家康公廟所への道
 二荒山神社
 大猷院 
 大猷院:大猷院は日光山輪王寺にある3代将軍家光の霊廟で、家光の法号から名付けられている。祖父である家康を心から深く尊敬していた家光は、死後も家康に仕えると遺言し、4代将軍家綱が廟所を建造した。東照宮に比べて規模が小さく華やかさは抑えられているが、建物は本殿、相の間、拝殿が国宝となっているほか、壮麗な二天門、竜宮城を思わせる皇嘉門など多くの見学箇所がある。東照宮とはかなり異なる趣となっており、目立たない部分に技巧が凝らされているのが特徴である。家光は,四十代の若さで世を去ったが自分の廟所は仏式で、荘厳は決して東照宮のそれを超えないようにと厳しく命じたと伝わる。大猷院の建物は東照宮に向いて見守るように建っており、家康への家光の尊敬の念が感じらる。世界遺産に登録。
仁王門: 仁王門は承応2年(1653)に建てられた建物で、大猷院の入口にあたり第一の門と云われる。建物は三間一戸、八脚門、切妻、銅瓦葺き、建物全体は朱色を基調として上部の構造体は黒色、金物を金、彫刻を極彩色で彩られており、大猷院の中では比較的落ち着いた彩色で威厳を感じさせる。両脇には密迹金剛像(阿形)と那羅延金剛像(吽形)の2体の仁王像が安置され侵入者に睨みをきかせている。国指定重要文化財。  
 二天門: 二天門は承応2年(1653)に建てられた建物で、桁行5.3間(約9.6m)、梁間3.1間(約5.64m)、三間一戸、八脚楼門、入母屋、銅瓦葺き、前後の屋根に唐破風が設えらている。朱色が基調で金物は金、1層目の組物が黒、2層目の組物が極彩色に色分けられていて正面唐破風下には後水尾天皇の宸筆した「大猷院」の扁額がある。正面には持国天と天目天が安置され背後には風神、雷神が安置されていることから二天門又は雷門と呼ばれている。日光東照宮の陽明門とは対になる関係で、陽明門が白色なのに対し二天門は弁柄色で若干控え目な意匠にして敬意を表している。国指定重要文化財。
 夜叉門: 夜叉門は承応2年(1653)に建てられた建物で八脚門、切妻、銅瓦葺き、正面には唐破風がついている。全体的には朱色が主体で組物と金物が金、彫刻が極彩色で彩られ、牡丹、唐草牡丹の彫刻が多用されている事から牡丹門の別称でよばれる。内部には東西南北を表している色違いの毘陀羅像、阿跋摩羅像、烏摩勒伽像、健陀羅像が安置され夜叉門が大猷院の中で霊廟の鎮護に当たっていることが読み取れる。国指定重要文化財。
 鐘楼・鼓楼: 鐘楼・鼓楼は承応2年(1653)に建てられた建物で桁行2.5間、梁間2.1間、入母屋、銅瓦葺きで建築されている。下層部には袴腰、上層部には高欄が廻されている。全体的に黒を基調とし(高欄は弁柄)、屋根廻りの金物は金箔、上層部の組物や彫刻には極彩色で彩り、格式の高さを感じさせてくれる。(鐘楼・鼓楼は略同形状)。国指定重要文化財。
 本殿:本殿は承応2年(1653)に造られた建物で桁行5間、梁間5間、2層入母屋で拝殿、相之間と一体となる権現造りとなっている。建物全体が黒漆塗りの上に金箔を貼り付けられ、彫刻を極彩色、垂木、高欄部を朱塗り、花頭窓周囲を黒に塗るなど色分けし格式と調和を図っている。御堂内部には三代将軍徳川家光の木像と御霊碑を安置した宮殿が設置されている。大猷院本殿は極めて貴重な事から国宝指定。
 皇嘉門: 皇嘉門は承応2年(1653)に建てられた一階塗籠楼門です。一般的には竜宮門と呼ばれる中国の楼門建築の様式を取り入れたもので、1層目の白漆喰と2層目の極彩色豊かな彫刻との対比が印象的です。この門は3代将軍徳川家光が眠る奥の院の入口にあたり普段は閉められ一般客は内部に入る事は出来ない。門の天井には「天女の画像」が描かれ、門扉の意匠などにも格式の高さが感じられる。国指定重要文化財。
 徳川家光公廟堂: 木立に囲まれた、ひっそりした場所にあり、一般公開されていない。
 大名家から寄進された青銅製灯籠
 JR 日光駅
 明治23年(1890)に開業され、現在の駅舎は大正元年(1912)に完成した白亜の洋館です。正面から見ると、2階には半円形のデコラティブな形の窓が造られ、ハーフテインバーと呼ばれる、外壁に柱が露出したヨーロッパの建築様式が取り入れられている。