赤羽八幡神社

赤羽八幡神社  
  赤羽八幡神社は、1985年に、「東北・上越新幹線」が 神社の地下を通過するようになり、境内からは新幹線がトンネルに出入りする様子が、真近(まじか)で見られるようになりました。 当初、東北・上越新幹線だけでしたが、その後新幹線は相次いで
開業し、現在では「山形新幹線」 「秋田新幹線」「長野新幹線」の各車両を見ることができるようになりました。
 また、新幹線と平行して走る、「埼京線」、そして「りんかい線」 の車両も同時に見ることが出来ます。そのほか、神社東側すぐに「京浜東北線」「宇都宮線」「高崎線」「湘南新宿ライン」が通っており、特急電車、成田エクスプレス、東武鉄道のスペーシアなどの姿も見ることができます。 赤羽八幡神社の立地は、まさに鉄道路線に挟み込まれたような地形をしており、その頂上にある神社境内からは、東京を目指して走ってくるそれぞれの路線が、赤羽駅で合流する様子を見ることが出来、まさに赤羽が 「東京の北の玄関」であることを実感させてくれます。
  斯様な特色を持つ八幡神社ですが、その歴史は古く、当社は平安時代、桓武天皇の御代延暦3年(784)、坂上田村麻呂東夷征伐の成功を折り、この地に陣を張り、八幡三神を勧請したと言い伝えられています。 坂上田村麻呂は平安時代の武官で、副将軍として東征し、後に征夷大将軍となって801年に敵対する蝦夷(えみし)を討ちました。死後、朝廷より従二位を贈られ、山城の国には将軍塚が作られ、国家守護の力と頼まれました。 平安時代を通じて優れた武人として尊敬され、のちの代に様々な伝説を生み、戦前には「菅原道真坂上田村麻呂」として文武のシンボル的存在とされました。
八幡三神 天皇比売(応神天皇の娘)、皇后(応神天皇の母)