浅草寺
    浅草寺雷門
  浅草寺は東京都内最古の寺で、西暦628年創建と伝わります。その東京を代表する観光名所、浅草寺雷門は、浅草寺の正門であり、正式名称は風雷神門と言います。現在の門は,昭和35年(1960)松下電器(パナソニック)の創業者・松下幸之助によって寄進・再建されたものです。
【特長】
1. 風神・雷神の像
 両神とも災害からの守護神として信仰されています。風神(向かって左):雷神(向かって右)

2. 大提灯(ちょうちん)
 門の中央に吊るされた巨大な赤い提灯は「雷門」の象徴。
 提灯の高さは約3.9メートル、重さ約700kg。提灯の下部には「松下電器」と記された銘板があります。

3. 裏側の彫刻
 門の裏側には、「天龍」「金龍」の彫像があります
 これらは浅草寺の本尊である聖観音菩薩と縁があるとされる龍神です。
4.雷門をくぐると、有名な「仲見世通り」が続き、その先に本堂があります。

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「松下幸之助(パナソニック創業者)が「経営の神様」と呼ばれる由縁」
 松下幸之助が「経営の神様」と呼ばれ、人生の成功者となった背景には、単なる幸運や才能ではなく、逆境の中で積み重ねた特異な努力と独自の経営哲学がありました。
第一に挙げられるのは、極端な逆境を学びに変え続けた姿勢です。松下は幼少期に家が没落し、9歳で丁稚奉公に出され、学歴も初等教育に満たなかった。しかし彼はその不足を嘆くのではなく、現場で人を観察し、商売の仕組みや人の心理を徹底的に学びました。学校で学べなかった分を、現実社会から吸収し続けた努力が、後の経営判断力の土台となったのです。
第二に、失敗を恐れず、考え抜く習慣です。創業初期の松下電器は資金難や不良在庫に何度も苦しんだが、その都度「なぜ売れないのか」「社会は何を求めているのか」を徹底的に考え抜きました。単に安く作るのではなく、「良いものを安く、豊富に供給する」という理念を打ち立て、需要を創造する経営へと昇華させた点は、並外れた努力の結果なのです。
第三に、人を育てることへの執念がありました。松下は「事業は人なり」と繰り返し語り、社員教育に力を注ぎました。自ら経営哲学を語り、社員を単なる労働力ではなく「共に社会に貢献する仲間」と位置づけました。このために設立した松下政経塾なども、長期的視野に立った努力の象徴なのです。
以上のように、松下幸之助は私利私欲を抑え、社会的使命を優先した姿勢がありました。そして、企業の目的を利益追求に限定せず、「産業人として社会の繁栄に寄与すること」と定義しています。この高い志が、多くの人の共感と協力を呼び、結果として巨大企業を築く力となりました。このように、松下幸之助の成功の背景には、逆境を糧にする粘り強さ、考え抜く知的努力、人を育てる情熱、そして社会的使命感がありました。それらを一生涯貫いた点こそが、彼を「経営の神様」と呼ばせる所以なのでしょう。

 
仲見世商店街
 
 
■ 五重塔
第二次世界大戦の東京大空襲(1945)により、五重塔は焼失しました。
五重塔は、昭和48年(1973)に朱も鮮やかにして、再建されました、鉄骨・鉄筋コンクリート造りの塔である。外から見ると、五重塔は地上面から建っているように見えるが、実際は基壇状の建物(塔院)の上に建っている。 塔は、仏舎利を奉安したインドのストゥーパを起源とする。浅草寺の五重塔の最上層には、昭和41年(1966)スリランカのイスルムニヤ寺院からに奉戴された仏舎利が納められています。浅草寺に塔がはじめて建立されたのは、天慶5年(942)平公雅によるとされ、当時の塔は三重塔であったという。その後、幾星霜の間、地震や火災によって、倒壊、焼失を経て、江戸時代慶安年間、德川家光により、五重塔として建造されました。この塔は本堂の東側に位置し、現在も礎石(旧五重塔碑)が残されています。

五重塔は仏舎利(釈迦の遺骨)を安置するための塔であり、仏教の宇宙観を表す象徴的な建造物です。
それぞれ各層は、以下の五大要素を象徴しています:
一重 地(ち) 大地・安定
二重 水(すい) 流動・柔軟
三重 火(か) 情熱・浄化
四重 風(ふう) 生命の息吹
五重 空(くう) 無・悟り

■ 宝蔵門
天慶5(942)武蔵守、平公雅(きんまさ)が建立したとされる旧仁王門の再建で、1964年に大谷米太郎氏から寄進されたのが宝蔵門です。門前の参道両側には仲見世が並び、門の正面左右に構えるのは左に呵形像、右に吽形像の仁王像が奉安されているので、別名「仁王門」と呼ばれます。共にインドの古代武器を持っており、身体健全や災難厄除の神として信仰を集めています。宝蔵門は鉄骨鉄筋コンクリート造の入母屋造で、上層部分には国宝の法華経と重要文化財の「元板大蔵経」「元版一切経」や寺宝が収蔵されているので「宝蔵門」とも称しています。また、中央の提灯は「小舟町」と書かれている通り、日本橋小舟町の人たちによる寄進であり、両脇にある鉄製の提灯型のさげ物も同様、彼らの寄進です。
 浅草寺本堂(観音堂)
浅草寺は、西暦628年に隅田川で漁をしていた兄弟が観音像を引き上げたことに始まります。この観音像つまり、本尊・聖観音菩薩を祀るために草堂(本堂)が建てられました。それが浅草寺の起源です。本堂は、昭和33年(1958)に再建されました。鉄筋コンクリート造、瓦葺(かわらぶき)入母屋造(いりもやづくり)で、1300年以上の歴史を持つ日本有数の仏教寺院の中心的存在です。歴史的・宗教的価値だけでなく、荘厳な本堂の建築美や文化イベントなど、さまざまな面から人々を惹きつける国内屈指の御堂で、年間約3000万人の参拝者が訪れます。
 浅草神社

 浅草神社と三社祭り(さんじゃまつり)
浅草神社と三社祭は、非常に深い関係があります。三社祭は、浅草神社の例大祭(れいたいさい)であり、神社の最も重要な年中行事です。三社祭の「三社」とは、浅草神社の御祭神である以下の三人の神様を指します: 
1、土師真中知(はじのまなかち)2、檜前浜成(ひのくまのはまなり) 3、 檜前竹成(ひのくまのたけなり)この三人は、浅草寺のご本尊である観音像を隅田川で引き上げたことで知られ、その功績から神として祀られ、浅草神社が創建されました。三社祭は、この三柱の神様を称え、感謝を捧げる祭礼として始まりました。祭りは毎年5月の第3週末を中心に開催されます。草神社の神輿(みこし)三基が町を練り歩きます。下町文化と江戸っ子気質を感じさせる、活気と熱気に満ちた行事です。つまり、三社祭は浅草神社の神々を称える祭りであり、浅草神社そのものが祭りの中心なのです。